『平和』とは何だろう?
昨年の夏に訪れた長崎。
写真は浦上天主堂です。
日本は唯一の戦争による核の被害を受けた国。
ただ、世界から見れば、
『日本が仕掛けた戦争を連合国が原爆を使用して終結させた』
、とも言われるのです。
日本が掲げた正義は、必ずしも他の国の正義とは一致はしません。国同士の信用・信頼が崩れた時に、戦争が起こる可能性が高くなります。
江戸時代が最も平和だった、と云われる由縁。
これは260年ものあいだ、内乱を含む戦争が一度も起きずに国が治まっていた、ということです。
正確には、戦争とまではいかぬイザコザはあったのかもしれませんが、徳川幕府が15代に至るまで天下を統一して国を治めていたのは史実として残るものなのです。
かたやアメリカは徳川の世よりも建国してからの年月が浅い(といっても百年以上の歴史はあるのですが)のに、ある意味『戦争』ばかり起こしたり、起こされたりしている国家、とも見ていいのかもしれません。
しかしながら、戦争が隣り合わせでも、戦時中の日本のような悲惨さは感じられず、むしろ『平和』なイメージがあるのでは?と思ったりもします。
われわれがいう『平和』とは何でしょうか?
・争いのない穏やかな生活が出来ること。
・世界の国同士が信頼しあってつながること。
・豊かな生活がずっと続くこと。
などなど。
人により思うことは沢山あるでしょうが、共通して言えるのは、おそらく『みんなが幸せに暮らせること』かもしれません。
ただ、人間は人間であればあるほど、幸せを妬むことがあります。妬みが怒り、憎しみの感情に変わり、自分への脅威を感じ始めたときに争い事が始まるメカニズムがあるのでは、と考えます。平和が戦争にかわる瞬間が、まさしくそれではないかと思うのです。
昭和20年8月9日。
浦上地区に落とされた一発の原子爆弾が、長崎に生きる人の幸せを奪いました。
アメリカは自国の平和のために落としたのが原子爆弾である、といいます。
それぞれの『平和』がもたらした、お互いの悲劇。
その事実だけは、決して風化させてはならない、『平和』への道標なのかもしれません。
二度と繰り返してはいけない過ち。
平和とは、もしかしたらそういう意味なのかもしれません。
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